
「失われた30年」という言葉は、日本経済を語る際の常套句となった。一方で近年、「日本は実は堅実に復活している」「相対的に地位を回復している」という見方も増えている。本稿では、半導体産業、賃金、テスラ、トヨタを軸に整理しました。
日本の半導体産業は「復活」と言えるのか
日本の半導体について語られる際、「世界シェアは高いが表舞台に日本企業の名前が出てこない」という指摘は正しい。最先端ロジック半導体の主役において、日本メーカーはそこに存在しない。
日本が強みを持つのは、半導体製造装置、材料、精密部品といった「中間財」である。フォトレジスト、シリコンウェハ、洗浄装置などでは世界シェア50〜90%という分野も存在する。しかし、これらは最終製品であるCPUやGPUと比べると市場規模が小さく、単価も低い。その結果、世界シェアが高くても売上高は限定的になる。
この構造は「ニッチ分野への特化」と言い換えられる。しかもこれは近年新たに選択された戦略ではなく、1990年代以降、日本がリスクの高い最終製品領域から撤退し、従来得意としてきた周辺分野に集中してきた結果である。したがって、「復活」という言葉を使うならば、それは覇権奪還ではなく、「不可欠だが儲からない位置に再配置された」という意味に限定される。
産業収益という観点では、日本の半導体が復活したとは言い難い。一方で、地政学的・供給網的には、日本の存在感は明確に回復している。半導体供給網が分断リスクにさらされる中で、「日本が止まれば世界が止まる」という分野を持っていること自体は、国家としての価値を高めているのも事実である。
日本の賃金は外国人にとって魅力的なのか
次に、日本の賃金水準を外国人労働者の視点から考える。結論から言えば、技能レベルによって評価は大きく分かれるが、低〜中技能層にとって日本の賃金はもはや魅力的とは言い難い。
円安によって円建て賃金はドル換算で低下している。一見すると「円安=外国人に有利」に見えるが、実際に重要なのは本国への送金価値である。日本国内の物価上昇、住宅費、社会保険負担を考慮すると、送金ベースでの実質的なメリットは限定的になっている。
その結果、日本は「安定しているが稼げない国」という位置づけに近づいている。これは外国人労働者だけでなく、日本人自身の消費行動にも影響を与え、内需の弱さを固定化してきた要因でもある。
賃金が上がらない理由を「若者がきつい仕事を嫌がるから」「人手不足だから外国人で補うしかない」と説明する声も多い。しかし経済原理に照らせば、労働供給が不足するのは賃金が適正水準に達していないからである。賃金が上がらないまま外国人労働者で補完する構造は、賃金停滞をさらに長期化させる。
トヨタの給与水準は本当に「正常」なのか
日本企業の中で賃金水準が突出している存在として、しばしばと「トヨタの給与」が挙げられる。トヨタの平均年収は約980万円とされ、日本の平均年収(約460万円)の2倍以上である。この差を見て「トヨタだけが高すぎる」と感じる人も多い。
しかし、この評価は国際比較と売上高比という2つの視点を欠いている。まず、自動車産業において人件費が売上高の10〜15%であれば健全とされる。トヨタは高い営業利益率を維持しながら、この範囲内で賃金を支払っている。つまり、売上高に対して人件費が過剰というわけではない。
次に国内物価水準との関係で見ると、日本は住宅費、医療費、公共料金が他の先進国に比べて低い。その中で年収980万円は、可処分所得ベースでは先進国の大企業として「標準的」もしくは「やや高い」水準に位置する。少なくとも、過剰とは言えない。
韓国の自動車メーカーと比較すると、名目額では為替の影響で差があるように見えるが、韓国は解雇リスクや競争圧力が高く、雇用安定性は日本より低い。長期雇用と福利厚生を含めて評価すれば、トヨタの給与水準は国際的にも妥当な範囲にある。
重要なのは、「トヨタが高すぎる」のではなく、「トヨタ以外が上げなかった」点にある。多くの日本企業は、生産性向上分を価格抑制や内部留保に回し、賃金に反映しなかった。その結果、トヨタだけが相対的に突出して見える構図が生まれた。
日本経済の本質的課題とは何か
ここまでを総合すると、日本経済の課題は明確になる。
- 半導体では、不可欠なニッチに留まり、収益の中核を取れていない
- 賃金は、国際的にも国内的にも低水準で固定化している
- 賃金を上げられる企業が、構造的に上げてこなかった
日本は「価値がない国」になったわけではない。むしろ、技術、信頼性、社会の安定性という点では高い評価を維持している。しかし、その価値に価格(賃金)がついていない。この「価格が上がらない構造」こそが、失われた30年の正体である。
中国EVダンピングでテスラは失速したのか
近年、「中国EVメーカーのダンピングによってテスラは勢いを失った」「それはEV戦略の限界を示す象徴だ」
といった論調が国内外で散見される。しかし、この評価は事実の一部を誇張し、構造を単純化しすぎている可能性が高い。
本稿では、中国市場の実態と主要メーカーへの影響を整理し、この言説の妥当性を検証する。
中国EVダンピングとは何か
中国におけるEV価格競争は、単なる値下げではない。
政府補助金、地方政府支援、過剰設備投資を背景に、
原価割れに近い価格設定が一部メーカーで常態化している。
代表的なのがBYDを中心とする中国EV勢であり、国内シェア拡大を最優先にした結果、利益率を犠牲にした販売が続いている。この状況は、外資・内資を問わずすべてのメーカーに圧力を与えている。
テスラは中国で「失速」したのか
確かにテスラの中国シェアは、ピーク時と比較すれば低下している。
しかし、これは「競争激化による相対的な低下」であり、
以下の点を踏まえる必要がある。
- 中国EV市場全体が急拡大している(分母が拡大)
- 中国メーカーの新規参入が極端に多い
- 外資メーカー全体がシェアを落としている
つまり、テスラ固有の問題というよりも、
中国市場そのものの構造変化による影響と捉えるのが妥当である。
他メーカーとの比較|テスラだけが被害者なのか
この点が、最も重要な論点である。
中国市場では、テスラだけでなく、欧州メーカーも同様、もしくはそれ以上の打撃を受けている。
特に欧州プレミアム勢は、
- 価格競争に耐えられないコスト構造
- EV専用プラットフォームの遅れ
- 中国市場向けモデルの訴求力不足
といった問題を抱えており、
中国EVダンピングの影響はテスラより深刻との見方も少なくない。
EV専業という構造は不利なのか
「テスラはEV専業だから中国EVシフトの直撃を受けた」という主張もあるが、
これも単純化されすぎている。
中国市場では、
- EV専業か否か
- プレミアムか大衆か
よりも、
価格と商品力のバランスが支配的である。
EV比率が低いメーカーであっても、
EV部門単体で見れば同様の価格圧力を受けており、
「EV専業=不利」とは一概に言えない。
価格競争耐性ではテスラはむしろ有利
重要なのは、価格への耐性である。
テスラは以下の点で、欧州プレミアムメーカーより優位にある。
- 製造プロセスの簡素化
- 垂直統合によるコスト管理
- グローバル共通設計による規模の経済
結果として、テスラは値下げによって販売台数を維持できる一方、
欧州メーカーは値下げ=即赤字に近い構造に陥りやすい。
「テスラ失速の象徴」という表現の問題点
以上を踏まえると、
「中国EVダンピングでテスラが失速した」という表現には、
以下の問題がある。
- 中国市場全体の構造問題をテスラ固有に帰している
- 他メーカーとの相対比較が欠落している
- シェア低下と事業失敗を混同している
テスラは依然として世界最大級のEVメーカーであり、
中国市場でも重要なプレイヤーであることに変わりはない。
結論|誇張された物語から構造理解へ
中国EVダンピングは確かに市場を歪め、
すべてのメーカーに痛みを与えている。
しかし、
「テスラが失速した象徴である」
「EV戦略の失敗を示す事例である」
という評価は、事実を過度に単純化した誇張と言える。
むしろ、
- 中国市場の異常な競争環境
- EV時代におけるコスト構造の差
- グローバル市場での事業分散の重要性
を考える材料として捉えるべきであり、
テスラのみを特異点として扱うのは適切ではない。
日本自動車産業は本当に手遅れなのか:CO2規制から見た整理
「失われた30年」「EVで出遅れた日本」「それでもトヨタは強い」──
これらの言説は、互いに矛盾しながら日本の自動車産業を語ってきた。
しかし議論を感情論や企業イメージから切り離し、世界の制度・市場・技術の三点から整理すると、
見えてくる結論は一つである。
問題は「日本車は優れているか」ではない。
「どの競争軸が、すでに消滅したか」である。
世界のCO2規制は「技術評価」ではなく「制度評価」である
現在の自動車産業を規定している最大要因は、需要でも技術でもなく、
CO2排出量を基準とした制度である。
この制度下では、内燃機関(ICE)の完成度がどれほど高くとも、
排出量が多ければ評価されない。
効率の良いエンジンは「優秀」ではあるが、
制度的には「猶予を与えられない技術」である。
つまり、
- 高性能ICE
- 低燃費ICE
- 信頼性の高いICE
はいずれも、規制下では競争力に転換されない。
完成度は、もはやメリットではない。
ICEの「逃げ場」はすでに消滅している
新興国市場:価格で中韓に敗北
かつてICEは「新興国の現実解」とされてきた。
しかし現在、新興国では
中国・韓国メーカーがICE・EVの両面で価格優位を確立している。
ICEは成熟技術であり、成熟技術は必ず低賃金国が勝つ。
この構造はすでに逆転不可能である。
インフラ未整備地域:むしろEVが有利
「充電インフラが未整備だからEVは無理」という前提は、
現実を反映していない。
ガソリン流通網・整備士・部品供給が不十分な地域では、
構造が単純で、故障点が少なく、自宅充電が可能なEVの方が
成立しやすい。
この分野では、中国製EVがすでに事実上の標準となりつつある。
規制緩和国:EVが「商品力」で侵食
規制が緩い国ほど、補助金に依存しない
「安くて壊れにくいEV」が浸透する。
規制がないからICEが残るのではない。
規制がないからこそ、EVが価格競争で勝つ。
PHEVは「世界最大級の実績」ではない
日本メーカーの文脈で語られがちなHEV・PHEVの成功は、しばしば過大評価される。
HEVは一定の実績を持つが、
PHEVに関しては数量・影響力ともに世界最大級とは言えない。
特に欧州では制度上の評価が急速に低下しており、
中国ではEVに完全に置き換えられている。
PHEVは「過渡技術」であり、覇権技術でも最終解でもない。
トヨタ/レクサスの立ち位置は「異なる」ではなく「劣勢」
これらを踏まえると、
トヨタ/レクサスの立ち位置を「独自」「異なる」と表現するのは不正確である。
評価軸がEV・CO2排出量・ソフトウェアに固定された競争環境において、
ICE・HEV中心の戦略は測定可能な劣勢にある。
これは企業努力の問題ではなく、競争ルールの変化によるものである。
ICE戦略は「手遅れ」だが、企業としてはまだ決着していない
ここで重要な分離が必要である。
- ICEを成長エンジンとする戦略 → 完全に手遅れ
- トヨタという企業の競争力 → まだ確定していない
ICEはもはや「守るべき資産」ではなく、
処理すべき過去の負債である。
この認識転換ができるかどうかが、
唯一の分岐点となる。
最終論点:トヨタは「いつICEを終わらせられるか」
EVへの出遅れ自体は、致命傷ではない。
致命的なのは、
ICEを前提にした意思決定を続けることである。
- ICEを延命しながらEVを語る → 確実な衰退
- ICEを資金回収装置として割り切る → 生存可能性あり
- ICEを思想レベルで終わらせ、EV前提で再設計 → 唯一の勝ち筋
結論(静かな断定)
世界のCO2規制環境において、
ICEに未来はない。
新興国・未整備地域・規制緩和国のすべてで、
ICEはすでに敗北している。
したがって、
「ICEはまだ使える」という議論は、
市場分析ではなく心理的防衛に近い。
トヨタ/レクサスが生き残るかどうかは、
EVにどれだけ早く転換できるかではなく、
ICEをどれだけ早く終わらせられるかにかかっている。
それができた瞬間、劣勢は覆る可能性がある。
それができなければ、完成度の高いICEとともに、
静かに市場から後退するだけである。
まとめ|復活しているのに豊かにならない国
日本は復活しているのか。答えは二重構造だ。
技術的・構造的には復活している。一方で、賃金と所得という形で国民に還元されていない。その結果、復活している実感が生まれない。半導体でも、賃金でも、同じ構図が繰り返されている。
今後、日本経済が本当に再評価されるためには、「価値を作る」だけでなく、「価値に価格をつける」段階へ進む必要がある。その中心にあるのが、賃金上昇という極めてシンプルだが、30年間避けられてきた課題である。

