自動車プラットフォーム論に感じるメディアの違和感|多品種少量がベストなのか

査定君
査定君

「なぜ自動車プラットフォーム論は歪んで語られやすいのか」、少量多品種生産とテスラを比較し、必ず日本優位論としてしまう、メディアの違和感という視点から整理します。

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プラットフォームとは本来何だったのか

自動車におけるプラットフォームとは、単なる車台や床構造ではありません。
サスペンション配置、衝突安全構造、パワートレイン搭載の自由度、電動化対応まで含めた「設計の前提条件」です。

この考え方自体は新しいものではなく、1980年代以前から存在していました。
一つのシャーシで、セダン、クーペ、ワゴン、さらには商用派生まで展開する。
これは、かつての日本車でも普通に行われていたことです。

つまり、「同一プラットフォームで多用途展開できるか」という問いそのものが、本来は技術的な論争の対象ではありません。

日本メディアが好む「多品種少量」という物語

日本の自動車メディアでは、「多品種少量生産」がしばしば美徳として語られます。
きめ細かなニーズ対応、現場力、職人的な調整能力。
それらが、日本メーカーの強みとして繰り返し強調されてきました。

しかし、この語りには大きな前提が抜け落ちています。

それは、日本市場がすでに長年にわたり完全な飽和市場であるという事実です。
新規需要がほとんど見込めない市場では、派生を増やし、隙間を埋め続けるしかありません。

多品種少量は、必ずしも攻めの戦略ではなく、むしろ成熟市場に適応した結果に過ぎない側面があります。

テスラ礼賛に潜む文脈の省略

次に目立つのが、テスラを巡る語りです。

「少品種で高効率」「無駄な派生を持たない合理的なメーカー」
という評価は、確かに現時点では正しい。

しかし、ここでしばしば省略されるのが、テスラが置かれている市場フェーズです。
特にテスラは、少ないモデルでトップシェアの台数を稼いでいます。
これは、3シリーズ的、クラウン的、カローラ的な、派生モデルが不要であることを明示しています。

EV市場は、いまだ拡大局面にあります。
圧倒的なコスト競争力とブランド力を持つ企業が、少数モデルに集中するのは合理的な選択です。

これは思想の優劣ではなく、単に市場が未成熟であるという条件の話です。

市場が飽和したとき、物語は必ず変わる

歴史を振り返れば、どのメーカーも同じ道を辿っています。

市場が成長している間は、車種を絞り込む。
競争が激化し、差別化が難しくなると、派生が増える。

テスラも例外ではありません。
市場が飽和すれば、顧客の嗜好は細分化され、ボディタイプやキャラクターの違いが求められます。

そのとき、テスラが多品種展開に舵を切る可能性は十分にあります。

にもかかわらず、日本メディアでは、現在の姿だけを切り取り、それを「未来永劫の正解」であるかのように語る傾向があります。

欧州メーカーが先行してきた超汎用思想

プラットフォームの汎用化という点で、実は欧州メーカーは長年先行してきました。
これは、日本メーカーやトヨタのTNGAが先ではなく、欧州が先行している思想ですが、メディアは、この点を一切語りません。

VWアウディやBMW、メルセデスは、国境をまたぐ市場を前提に、一つの設計思想から多様なボディタイプを成立させてきました。

セダン、クーペ、ワゴン、SUV、クロスオーバー。
乗り心地重視モデルとスポーツ志向モデル。
これらを同一プラットフォームで成立させることは、彼らにとって特別な挑戦ではありません。

「やらない」のではなく「選ばない」だけ

しばしば、「最近のメーカーは多様な派生をやらなくなった」という表現が使われます。

しかし、これは正確ではありません。

できないからやらないのではなく、市場条件と採算を見て、やらない選択をしているだけです。

BMWでは、今もセダンもあればクーペもあり、SUVもワゴンも存在します。
EVであっても、その構造は破綻していません。

トヨタのTNGAと「真似」という誤解

トヨタのTNGAは、欧州的な部品思想を取り入れたものだとよく言われます。

ただし、ここでも「真似た」という単純化は適切ではありません。

  • 部品の使い回し・流用は、自動車生産開始当初からの話(全世界のメーカー)
  • ただし、「部品思想をコンセプト化」したのは欧州が先
  • 日本は二番煎じであるのは事実

グローバル市場で戦う以上、汎用化と最適化のバランスを取ることは必然です。
欧州が先行していた思想を、日本流に再構築したと見る方が現実的です。

8. メディアが語りたがる「日本すごい話」の限界

多品種少量生産を過大評価し、テスラを特別視し、欧州メーカーの積み重ねを過小評価する。

これらに共通するのは、物語として分かりやすい構図を優先しているという点です。

しかし、自動車産業は物語では動いていません。
市場、規制、コスト、技術。
それらの積み重ねの結果として、今の姿があります。

まとめ|違和感の正体

自動車プラットフォーム論に漂う違和感の正体は、技術の問題ではありません。

  • 市場フェーズの違いを無視している
  • 現在の一断面を永続的な真理に仕立てている
  • 日本的成功体験を世界標準に拡張している

これらが重なった結果、議論はしばしば歪みます。

冷静に歴史と構造を見れば、超汎用プラットフォームは欧州が先駆であり、今もリードしています。

違和感を覚えたときこそ、物語ではなく前提条件を疑う。
それが、自動車を読み解く一番の近道かもしれません。