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EV手のひら返しを経て日本に見えてきた「勝ち筋」は本当か

査定君
査定君

「EV手のひら返し」、「日本の自動車産業に再び勝ち筋が見えてきた」
という論調は本当だろうか。

EVの世界的な位置付け、日本が実際に勝っている分野、全方位戦略という言葉の正体を整理しなければ、この問いに正確に答えることはできない。

本記事では、EVを巡る国際構造と日本の立ち位置を俯瞰した上で、日本に本当に「勝ち筋」が存在するのかを検証する。

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「EV手のひら返し」とは何を指しているのか

まず明確にしておくべきは、欧州や米国がEVを放棄した事実は存在しないという点である。

実際に起きているのは、

  • EV普及スピードの現実的な修正
  • 補助金や規制スケジュールの調整
  • PHEVなど移行技術の一時的容認

といった「軌道修正」に過ぎない。
欧州においては今なお、EVが長期的な最適解であるという前提は崩れていない。

つまり「EV手のひら返し」とは、
EV政策の撤回ではなく、理想と現実のギャップ調整なのである。
この点を誤解したまま議論を進めると、日本に有利な変化が起きたように錯覚してしまう。

当該メディアは、その錯覚に誘導したい意図なのでしょう。

日本メディアに広がるEVネガティブ論の構造

一方、日本国内ではEVに対するネガティブな論調が強まっている。

代表的な論点は、

  • EVは製造時のCO2排出が多い
  • 補助金なしでは成立しない
  • 電池リサイクルが未完成

といったものであり、これらは事実として否定できない。

しかし問題は、これらの課題が「EVは最適解ではない」という結論に直結している点にある。

欧州では「EVは最適解だが課題がある」と認識されているのに対し、
日本では「課題があるから最適解ではない」という思考に陥りやすい。

この違いは決定的であり、主戦場に立つか、立たないかの差を生んでいる。

日本が実際に勝っている分野はどこか

日本の自動車産業は「全方位戦略」を掲げてきた。
EV、ハイブリッド、PHEV、水素、内燃機関改良を同時に進めるという考え方である。

しかし、現実の競争状況を整理すると、日本が明確に勝っている分野は一つしかない

分野 世界市場での立ち位置 将来の主戦場性
EV(BEV) 日本メーカーはシェア低迷
ハイブリッド(HEV) 日本が圧倒的優位 △(移行技術)
FCEV 市場未成立 ×
e-fuel 例外用途のみ ×

この表が示す通り、日本が勝っているのはハイブリッドだけであり、
世界の主戦場であるEVでは存在感を示せていない。

全方位戦略は合理的か、それとも論点ずらしか

全方位戦略が本当に合理的なのは、どの技術が勝つか分からない初期段階に限られる。

しかし現在、EVが世界の主戦場であることは事実上確定している。
規制、投資、インフラ、エコシステムの中心はEVだ。

この状況下での全方位戦略は、

  • 投資の分散
  • 人材の希薄化
  • 意思決定の遅れ

を引き起こす。
結果として、EVで勝てていない事実を曖昧にする言葉として機能してしまう。

したがって、現時点の全方位戦略は合理的戦略ではなく、論点ずらしと評価するのが妥当である。

トヨタのEV出遅れは致命的なのか

トヨタのEV出遅れについては、「まだ巻き返せる」という見方と
「周回遅れで手遅れ」という見方が存在する。

冷静に整理すると、

  • 技術的に追いつけない段階ではない
  • しかし思想・文化・スピードでは後手
  • 短期的にEV覇権を取る可能性は低い

EVは内燃機関の延長線ではなく、ソフトウェア定義車両(SDV)という全く異なる競技である。

この競技において、日本メーカーは勝ちパターンそのものを再構築する必要に迫られている。

EVバブルは崩壊したのか

「EVバブル崩壊」という表現も多用されているが、
崩壊したのは技術ではなく期待値である。

補助金前提、赤字容認、株価先行といった
金融的な過剰期待は確かに修正されつつある。

しかし、
EVが都市部や規制市場で拡大し続ける流れは変わらない
崩壊したのは
「EVなら何でも成功する」という幻想である。

CO2規制緩和で日本に勝算は生まれたのか

CO2規制比率を100%から90%へ緩めるといった動きは、
一見すると日本に追い風のように見える。

しかしこれは産業保護のための微調整であり、世界をリードするための戦略ではない。

規制緩和は守りの政策であり、覇権を取りに行く攻めの政策ではない。
この点を誤解すると、勝ち筋が見えたという錯覚に陥る。

ストロングハイブリッド分野でも優位性を失いつつある

欧州メーカーの48V-MHEV、ストロングハイブリッドは、欧州環境に適した高速対応型のハイブリッドを市場投入し、完全に純ICE無しのラインナップを構築し、欧州の規制強化に対応している。
2020年時点では、日本車優位だったが、2025年時点で、その優位性は無くなったと言えます。
この点でもMHEV/HEV/PHEVの充実度は日本車を圧倒しており、ハイブリッド神話は過去のものとなりつつある。

【反論想定】「EV幻想に振り回されたのは欧州メーカーで、日本は伝家の宝刀を持っている」という見方は正しいのか

本稿の議論に対して、次のような反論が想定される。

「EVがすぐにも自動車の主流になるかのような雰囲気は、すでに消え去った。
この8年間を振り返れば、EVを巡る世論はマーケティング巧者の欧州メーカーに振り回されただけではないか。
ディーゼルゲートという自ら招いた苦境を、EVという“先進的で環境に優しい破壊的技術”で覆い隠し、日本も世界もその物語に乗せられた。
しかし日本の自動車メーカーは、ハイブリッドなど生き残りの鍵となる強い技術をすでに持っている。最後に笑うのは、日本企業ではないのか。」

一見すると説得力のあるこの見方は、感情的にも受け入れやすい。
しかし、これまで整理してきた論点と照らし合わせると、いくつかの重要な論理のすり替えが含まれている。

反論①「EVが主流になる雰囲気は消えた」=EVは主戦場ではなくなったのか

まず、「EVがすぐに主流になる雰囲気は消えた」という指摘自体は部分的に正しい。
補助金前提、赤字前提、株価先行といったEVバブル的な熱狂は確かに沈静化した。

しかし重要なのは、消えたのは“スピードへの幻想”であって、方向性そのものではないという点である。
欧州・中国・米国のいずれも、EVを「長期的な最適解」とする前提は崩していない。

したがって、この反論は
「EVが主流になるのが遅れる」という事実を、
「EVが主戦場ではなくなった」と拡大解釈している点で、論理が飛躍している。

反論②「欧州メーカーのマーケティングに世界が踊らされた」という評価は妥当か

この点については、かなり妥当な指摘である。
ディーゼルゲート後、欧州メーカーが

  • 内燃機関の失敗を「時代の終わり」に転嫁したこと
  • EVを「倫理的・環境的に正しい未来」と物語化したこと

は事実であり、EVを巡るナラティブ形成に成功したのも欧州勢だった。

しかし問題は、その先である。
欧州のマーケティングに振り回されたから日本は正しかった
という結論は成立しない。

なぜなら、
ナラティブに乗ったか否かと、主戦場で勝っているか否かは全く別の問題
だからである。

反論③「日本は生き残るための強い技術をすでに持っている」は勝ち筋を意味するのか

この反論の中核は、
「日本はすでに2つの強い技術を持っている」
という主張にある。

ここで想定されている技術は、

  • ハイブリッド技術
  • 高効率な内燃機関・製造技術

であろう。
しかし、ここには決定的な混同がある。

それは、
「生き残れる技術」と「覇権を取る技術」を同一視している
点である。

ハイブリッドは確かに移行期において強力な技術だが、
世界の規格を定義する主戦場ではない。
内燃機関改良も、規制が進む中で市場が縮小することは避けられない。

つまりこれらは、
延命には有効でも、勝利をもたらす技術ではない

反論④「最後に笑うのは伝家の宝刀を持つ日本企業」という見方の危うさ

「最後は日本が勝つ」という物語は、過去の成功体験に強く依存している。

しかし歴史を振り返れば、

  • 家電
  • 半導体
  • 携帯電話
  • 液晶
  • 太陽光パネル

いずれも日本は技術と製造力を持ちながら覇権を逃した分野である。

共通しているのは、「伝家の宝刀を抜く前に、戦場のルールが変わっていた」
という構造だ。

EV・SDVの世界でも、同じ構図が進行している以上、
伝家の宝刀待ち思考は戦略ではなく希望的観測に近い。

反論章の結論:この見方は「安心できる説明」だが「勝つための分析」ではない

以上を踏まえると、
この反論は次のように位置づけられる。

  • 日本はすでに負けていないことを説明するには有効
  • 日本がこれから勝てることを説明する根拠にはならない

つまりこの認識は、
現状を肯定し、不安を和らげる物語としては優れているが、
覇権を取りに行くための戦略論としては不十分である。

本稿で指摘してきた通り、
勝ち筋が見えない最大の理由は、日本が劣っているからではなく、勝ちに行く覚悟を持っていないから
である。

この反論は、その覚悟を先送りするための
非常に完成度の高い「安心の物語」
である点にこそ、最大の注意が必要だと言える。

補足:なぜこの反論は多くの読者に「正しそう」に見えるのか

前章で整理した反論は、論理的に破綻しているわけではない。
むしろ、多くの日本人読者にとって「納得しやすい」「安心できる」構造を持っている点にこそ特徴がある。

その理由の第一は、日本の自動車産業が過去に何度も
「最後は技術力で巻き返す」
という成功体験を持っているからだ。

高度成長期以降、日本は欧米に遅れて参入しながらも、
品質、耐久性、コスト管理といった要素で評価を高め、
結果として世界市場で存在感を確立してきた。
この記憶が、無意識の前提として今も共有されている。

第二に、EVを巡る過度な期待が一時的にしぼんだことが、
「やはり焦る必要はなかった」という後講釈を可能にしている。
EVの販売減速、補助金の見直し、欧州の政策修正といったニュースは、
この反論を補強する材料として機能している。

しかし、ここで重要なのは、
「相手が誇張していた」ことと
「自分たちが正しい方向に進んでいる」ことは、全く別だという点である。

欧州メーカーのEV戦略に誇張や自己正当化が含まれていたとしても、
その結果として世界の規制、投資、サプライチェーン、技術開発の重心が
EVとソフトウェアに移動した事実は消えない。

この反論は、外部の失敗を指摘することで、
自らの立ち位置を相対的に安全に見せる構造を持っている。
だがそれは、防御としては機能しても、攻撃には転じない。

補足:この反論が見落としている「時間軸」の問題

もう一つ見逃せないのが、時間軸の扱いである。
この反論は暗黙のうちに、「今すぐ勝っていなくても、いずれ勝つ」という前提を置いている。

しかし自動車産業のような装置産業において、時間は中立な要素ではない。

EVやSDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)では、初期に形成された標準、プラットフォーム、人材の集積が、後発組にとって極めて高い参入障壁となる。

つまり、「まだ勝負は決まっていない」という状態が続くほど、先行者が有利になる構造そのものが進行している。

この点を無視したまま、「最後に伝家の宝刀を抜けばよい」という発想に留まることは、
戦略ではなく、希望的観測に近づいていく。

次にやるとすれば①:まず捨てるべき幻想を明確にする

もし本気で「勝ち筋」を議論するのであれば、最初にやるべきことは、新しい武器を探すことではない。
不要な幻想を捨てることである。

具体的には、次の三つは、早い段階で整理されるべき前提だ。

  • 日本は時間をかければ必ず巻き返せるという前提
  • ハイブリッドの強さがそのまま次世代でも通用するという期待
  • 世界が日本型の漸進的改良を再評価するという願望

これらはいずれも、過去には正しかったが、現在の環境では自動的に成立するものではない。

幻想を捨てることは敗北宣言ではない。
現実の戦場を正確に認識するための準備である。

次にやるとすれば②:「勝たない選択」を戦略として言語化する

全ての分野で覇権を狙うことが現実的でない以上、どこで勝たないかを決めることも戦略になる。

例えば、完成車としてのEV市場で主導権を握ることを諦める一方で、
製造装置、材料、部品、品質管理プロセスに特化するという選択肢もある。

これは「負けを認める」ことではなく、勝ち方を限定するという意思決定である。

問題は、日本の議論がこの段階に到達していない点だ。
多くの場合、
「勝てるかもしれない」
「まだチャンスはある」
という曖昧な表現で判断が先送りされている。

次にやるとすれば③:勝ち筋がない可能性を前提に制度と産業構造を組み替える

最も踏み込みが必要なのはここである。
仮に、自動車産業において明確な勝ち筋が存在しない場合、それでも国家と企業は生き残らなければならない。

その場合に必要なのは、「自動車で勝つ」ことを前提としない産業政策への転換だ。

自動車産業が抱える人材、資本、技術を、より成長余地のある分野へどう移動させるか。
この問いを正面から扱わない限り、勝ち筋論は精神論に留まる。

EVの手のひら返しを経て見えてきたものがあるとすれば、それは新たな希望ではなく、
これまで直視されてこなかった制約そのものなのかもしれない。

勝ち筋が見えないことを認めることからしか、本当の戦略は始まらない。

結論:日本に「勝ち筋」は見えているのか

以上を踏まえた結論は明確である。

現時点で、日本に明確な勝ち筋は見えていない。

  • EV主戦場で主導権を取れていない
  • 世界規格を作れていない
  • 投資と人材が集中していない
  • 全方位という名の分散が続いている

これは悲観論ではなく、構造的事実の整理である。

日本は「すでに負けた」のではない。
しかし、勝ちに行く覚悟と行動を取っていない

勝ち筋が見えないのではなく、見に行っていない
それが、EV手のひら返しを経た現在の日本の立ち位置である。というまとめになります。