EVは本当に不便なのか?体験談記事に潜むネガキャン的捏造構造を読み解く

査定君
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近年、EV(電気自動車)をめぐる体験談形式の記事がネット上に数多く流通し、
どこか極端で、読後に強い違和感を残すものも少なくない。
本稿では、あるネット記事の内容をモデルケースとして、記事概要を整理したうえで、どの部分が事実で、どの部分が「ネガティブな物語化」によって歪められているのかを丁寧に読み解いていく。

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記事概要:EVを購入したが「不便すぎて手放した」という物語

問題となるネット記事は、EV、とくにテスラ車を購入した個人の体験談を軸に構成されている。
内容を要約すると、次のような流れだ。

  • 先進的なイメージに惹かれてEVを購入した
  • 自宅に充電設備がなく、外部充電に頼る生活になった
  • 充電のたびに待ち時間が発生し、想像以上にストレスが溜まった
  • 冬場は航続距離が大きく落ち、暖房を我慢する場面もあった
  • 結果として、EVは自分の生活に合わず短期間で手放した

一見すると、冷静な失敗談にも見える。
実際、すべてが完全な虚偽というわけではない。
しかし、読み進めるほどに、いくつかの違和感が浮かび上がってくる。

自宅充電なしでEVを買う人はどれほどいるのか

記事の前提として強調されるのが「自宅に充電設備がなかった」という点だ。
確かに、日本の集合住宅事情を考えれば、これはEV普及における現実的なハードルのひとつだ。
実際、購入検討者の中には、充電設備の問題を理由に断念する人も少なくない。

ただし重要なのは、「検討段階で不安を感じる人が多い」という事実と、「実際に購入した人の大多数が自宅充電なしで苦しんでいる」という話は、まったく別だという点だ。

現実には、EVを購入する層の多くは、

  • 戸建て住宅で自宅充電を設置している
  • 職場や商業施設での定点充電を確保している
  • 走行距離が限定的で外部充電でも成立する生活圏にいる

といった条件を満たしている場合が多い。

記事では、「自宅充電がない」という一点をもって、EVそのものが無理のある乗り物であるかのように描かれているが、これは生活条件のミスマッチを、車両性能の欠陥にすり替えている構図だ。

冬のEVは本当に「ダウンを着るほど寒い」のか

記事の中でとくに印象的なのが、冬季の描写だ。
暖房を控え、車内でダウンジャケットを着込むほど寒かった、という表現は、EVに不慣れな読者に強い不安を与える。

しかし、ここには明確な誇張が混じっている。
現行のテスラ車を含む多くのEVには、

  • シートヒーター
  • ステアリングヒーター
  • ヒートポンプ式空調

が搭載されており、車内環境そのものが著しく寒くなる状況は考えにくい。

冬場に航続距離が減るのは事実だ。
ただしそれは「走行可能距離が短くなる」という話であって、「暖房が使えず寒さに耐えるしかない」という話とは別物だ。

記事は、この二つを意図的に混同し、「電欠が怖いから暖房を我慢した」という個人的判断を、
あたかもEV全体の構造的欠陥のように描いている。

充電に1時間待つという話はどこまで本当か

もうひとつの核心が「充電待ち時間」だ。
記事では、充電のたびに長時間待たされ、場合によっては1時間以上かかることもあったとされている。

ここでも、事実と演出が巧妙に混ざり合っている。

「近隣の商業施設などに急速充電器がある」とか

仮に自宅に充電器が無かったとしよう。
だとしても、テスラ購入検討者なら、「テスラのスーパーチャージャー」があるかどうか?が購入の最優先事項ではなかろうか?。「近隣の商業施設の急速充電器」というキーワードを書くだろうか。

日本でよく知られるCHAdeMO方式の急速充電では、

  • 出力が低い
  • 設置基数が少ない
  • EVとPHEVが混在する

といった理由から、混雑や待ち時間が発生しやすい。
この点については、多くのEVユーザーが共通認識を持っている。

一方、テスラのスーパーチャージャーは、
複数基設置と高出力を前提に設計されており、通常利用で1時間待つケースはかなり限定的だ。

年末年始や大型連休など、交通量が集中するタイミングで待ちが発生することはあり得る。
しかし、それを日常的な問題として描くのは現実とズレている。

なぜ「最悪ケース」だけが強調されるのか

この記事がネガティブな印象を強く残す理由は、起こりうるトラブルを「例外」としてではなく、
「EVに乗ると必ず直面する現実」として再構成している点にある。

  • 自宅充電がない
  • 真冬
  • 混雑する充電スポット
  • 航続距離に強い不安を抱く心理状態

これらが同時に重なる状況は、確かに存在する。
しかし、それはEV利用の一断面に過ぎない。

記事は、その一断面だけを切り出し、前後の条件説明を省くことで、読者に「EVとはこういうものだ」という印象を植え付ける。
この編集手法こそが、ネガキャン的と感じられる理由だ。

これは捏造か、それとも演出か

重要なのは、この記事が完全な嘘で構成されているわけではない点だ。
書かれている出来事の多くは、条件次第で起こり得る。

ただし、

  • 特殊な条件を一般化する
  • 個人の判断を構造問題に見せる
  • 比較対象(ガソリン車の欠点)を提示しない

こうした積み重ねによって、事実が歪んだ物語へと変換されている。

これは「虚偽の捏造」というよりも、「印象操作を伴うストーリー化」と呼ぶ方が近い。

まとめ:読む側に求められる視点

EVをめぐる体験談記事は、感情移入しやすく拡散力も高い。
だからこそ、読む側には一段引いた視点が求められる。

その体験は、

  • どんな生活条件で
  • どんな前提知識のもとで
  • どんな選択の結果として

生じたものなのか。

それを丁寧に分解していくと、多くの場合、問題の本質は「EVがダメ」なのではなく、
「使い方と環境の設計」にあることが見えてくる。

とあるネット記事で、リアリティの無いネタを沢山盛り込み過ぎた事例のご紹介でした。

ネット記事が描く強い物語に流されず、事実と条件を切り分けて読むこと。
それが、EVという新しい道具と向き合ううえで、もっとも現実的な態度なのかもしれない。