
近年のEV・電動化時代において、「運転する楽しさをどう残すか」というテーマは、多くの自動車メーカーが直面している共通課題である。
その中でホンダは、新プレリュードに搭載した「Honda S+ Shift」を前面に押し出し、カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)において極めて高い評価を獲得した。しかし、この評価は技術論・市場論・時間軸の観点から妥当性を冷静に検証する。
Honda S+ Shiftの概要
Honda S+ Shiftとは、エンジンとモーターを協調制御するハイブリッド/電動化車両において、
ドライバーの操作に応じて疑似的なシフト体験や加減速フィールを演出する制御思想である。
機械的な変速機構そのものを新設するのではなく、モーターのトルク制御、回生制御、アクセルレスポンス制御などを組み合わせることで、従来のエンジン車的な「運転文法」を再現する点が特徴とされる。
ホンダはこの仕組みを、「モーター駆動社会においても人間の感性を置き去りにしないための解」として位置づけ、思想や哲学を明確に言語化して発信した。
モーター駆動へのソフトウエア操作は容易か?
結論から言えば、「モーター駆動へのソフトウエア操作は容易である。」
現代のEV・ハイブリッド車は、すでに以下のような制御を前提として設計されている。
- モーターの瞬時トルク制御
- 回生ブレーキ量の連続可変制御
- アクセル開度と出力特性のマッピング
- ドライブモードによる制御切り替え
S+ Shiftが行っていることは、これら既存制御を組み合わせ、「トルクの立ち上がり方」「減速時のフィール」「ドライバー操作に対する反応」を意図的に段階化・演出することである。
これは新たなハードウェアを必要とせず、ECUおよびインバータ制御の範疇で完結する。
ソフトウェア制御ならコピーは容易か?
この問いに対する答えも明確で、「ソフトウエアのコピーは容易である。」
S+ Shiftは特定の物理機構や独占的な構造技術に依存していない。
他メーカーが同様の体験を実装する場合でも、
- 既存のドライブモード制御の拡張
- 回生制御マップの再設計
- HMI(パドル操作やUI演出)の追加
といった対応で十分に成立する。
実装コストは低く、開発期間も短い。
知的財産として強固に囲い込める領域ではなく、思想や言語化を除けば技術的な参入障壁はほぼ存在しない。
他メーカーでは疑似体験は実装済か?
はい、すでに実装済である。
特にEV分野では、数年前から以下のような事例が存在する。
- 回生ブレーキ量をパドルで段階調整
- ドライブモードごとのトルク特性変更
- 擬似エンジンサウンドや視覚演出
代表例として挙げられるのが、BMWミニの演出である。
MINIはEVでありながら、音・UI・操作フィールを含めた「らしさ」を早い段階から実装してきた。しかもそれを特別な革新として語るのではなく、「当たり前の体験」として市場に提供している。
この事実を踏まえると、S+ Shiftの思想は時間軸上では先行ではなく追認に近い。
技術的に「簡単にできる」のは事実か?
事実である。
制御工学・車両運動制御の観点から見れば、S+ Shiftは難易度の低い部類に属する。
むしろ難しいのは、
- 高出力モーターの滑らかな制御
- NVHを抑えた高回生制御
- 電費と走行性能の最適化
であり、疑似シフト体験やフィール演出は、それらの「応用」に過ぎない。
技術的ブレイクスルーと評価するのは無理がある。
来年のトレンドになっても、何も不自然ではない段階か?
不自然ではない。むしろ極めて自然である。
EV市場はすでに以下の段階に入っている。
- 加速性能・航続距離は過剰供給
- 実用性能は横並び
- 差別化軸は「体感」や「物語」
この状況下で、スポーツ/高級グレードにおいて
「運転フィールを選択できるモード」が標準化していくのは必然である。
S+ Shift的な思想が、来年以降に各社へ波及しても何ら不思議ではない。
COTYの評価軸が時代遅れなのか?
問題はここに集約される。
COTYは本来、技術革新や市場への影響を評価する制度であった。
しかしEV時代においては、
- 技術の進化が見えにくい
- 差分がソフトウェアに埋もれる
- 影響が時間差で現れる
結果として、「語りやすさ」「象徴性」「思想の言語化」が過剰に評価されやすくなっている。
S+ Shiftへの満点評価は、技術評価というより物語評価に近い。
反論に対する解説
「ホンダが初めて明確に言語化した点に価値がある」という反論は成立する。
しかしそれは、
- 技術的先進性
- 市場優位性
- コピー困難性
とは別次元の話である。
言語化の巧みさを評価することと、技術革新として満点を与えることは、本来切り分けられるべきである。
まとめ
Honda S+ Shiftは、
- 技術的には既存制御の延長
- ソフトウェア中心でコピーは容易
- 他社EVでは思想的に似た技術をすでに実装・実証済み
- 時間軸では「当たり前」に近い段階
という位置づけにある。
したがって、COTYにおける満点級の賛美は、技術論・市場論としては過大評価と言わざるを得ない。
評価されるべきなのは「新しさ」ではなく、「既存技術を整理し、商品として丁寧にまとめた完成度」である。
この整理がなされない限り、EV時代のCOTY評価は今後も現実との乖離を生み続けるだろう。というまとめになります。

